コミュ障の原因

コミュ障の原因

コミュ障は目に見えない障害なだけに、なかなか他者からは理解されない心の障害です。言葉のキャッチボールがひどく苦手なわけですから、本来ならば、社会のほうから歩み寄ってあげる必要があるわけです。

 

しかし、社会の現実は、なかなか障害者には優しくないので、コミュ障の人が回復に向かう困難さは、こんなところにあると思います。

 

翻れば、先天性の機能や気質の疾患が原因でない限りは、コミュ障の人がもっとも苦手とする状況が、コミュ障の原因だともいえるでしょう。

 

例えば、「無理してでも話さなくてはならない環境」、これは、学校教育の中で、何人にも課せられた状況であったと思います。

 

そこでの失敗体験、周囲の冷ややかな反応、心臓が飛び出るような緊張感は、自分の自意識をますます過剰にしてしまったことでしょう。

 

話すということが相手の投げた言葉に対する自然な返しにはならず、常に構えた、ぎくしゃくとしたものになってしまう、ある意味敵は他者であり、自分自身ともいえるので、事態はより複雑化してしまいます。

 

もう一つには、「マニュアル社会」です。正しい言葉はこれですよと、多くの人の個性を認めずに、一つの答えに自分を押し込めようとされる傾向が至るところにあるわけです。

 

コミュ障の人が苦手な面接もそうです。志望動機、過去に頑張ってきたもの、取って付けたような答えを丸暗記するように話す練習をした揚げ句、不意打ちのような内容の質問に対応することも求められるのですから。

 

そして、「価値観の均質化」です。テレビで場を賑わすお笑い芸人の饒舌さに慣れた私たちが、いつの間にか、寡黙で全くしゃべれない人を好きと思える心の自由さ、伸びやかさを、知らず知らず失ってしまったかもしれません。
そして、忘れていけないのは「言葉は武器になる」ということです。どんなに慎重に口から出た言葉であっても、言葉は誰かを傷付ける可能性をたくさん持っています。

 

コミュ障の人は、過去に誰かに言葉で傷付けられたことはないでしょうか。確かに言葉のキャッチボールができることは生きていく上でとても大切なことですが、一方で、その投げられる言葉の質を問われることが、とても弱くなっているのもこの社会の特徴です。

 

こうしてコミュ障の原因を探ることは、まさに、この社会の行きにくさにスポットを当てることなのだと思います。