コミュ障の症状
まず、何といっても、他者と話すことに苦手意識を持ってしまっています。
例えば、誰かと会う予定が事前に分かっているときは、自分と他者の会話によって、今までより自分の評価が落ちてしまうこと、そのマイナスのイメージがぐんと大きくなっていきます。
初めに失敗イメージありきで、相手に怪訝な表情をされるとか、変な返答で、相手を怒らせてしまうとか、まず、そうした光景が瞬時に脳裏を駆けめぐります。
これが、ふいに起こった場合、例えば、偶然電車の中で、かつてのクラスメートと再会して、全く予期せず話しかけられてしまったときならば、先入観のない、台本のないところにいきなり本番なのですから、心拍数は上がりっぱなしです。返事が見つからない間に、相手が、無視されたと勘違いをしたのか、さっと顔色を変えて、腹を立てた様子で去っていってしまったりします。
このような状態なので、例えば、視力が著しく落ちたことをむしろ喜ぶようにさえなります。遠くから顔見知りが近づいてきても、みんな見知らぬ人なので、堂々とすれ違うことができるからなのです。
しかし、まれに、決して親しくもなかったはずなのに、妙に慣れ慣れしく相手のガードをこじ開けて入ってくるような人に道端で捕まってしまうと大変です。
つい、自分はそんなに好かれていたのかと錯覚して、お茶など飲みたくないのに、誘われるままに付いていき、楽しくもないのに、相手と同じような笑顔をして、ほとんど、相手が一人で話しているのを聞いている観衆という立ち位置で空虚な時間を過ごしてきてしまったりするのです。
友人と関わった経験が全くないわけではなく、何となく小グループで行動していた時代もありますが、決して友達といえるような心を許した仲間はいませんでした。
ただ、そこから外れると全くの1人になってしまうことから逃れるために、同じようなCDを聞いて、彼らの趣味に少し関心を寄せるようにしていただけでした。
みんなが笑えば、自分も笑うものの、どうして、それがそんなに面白いのかがよく分からなかったりすることも度々です。
みんなと話が合うように趣味を広げようとか、努力をしようとは思うものの、根本からリラックスして楽しめるというわけではありません。
後で、過ごした時間が無駄だったと感じることが多かったりします。自分の言っていることが稚拙なのか、「何言っているかよく分かんない」と、吐き捨てられたこともあります。
人の顔色ばかり見るというか、いつも、相手から変なやつと思われていないかと勘ぐってしまう。
すごく寂しがり屋で、友達が欲しいといつも悩んでいるものの、結局、このままずっと1人かもしれないという覚めた認識もどこかにあります。